家づくりこぼれ話!
こんにちは 建物と土地とお金のプロ菅原です。
大黒柱
日本建築で、家の中にある最も太い柱のこと。
家屋を支えると同時に、
家格の象徴であったことから、
一家や集団の中心のなって
支える人のことをたとえていう。
昔、
民家の土間(台所)に面した
ところに立てられ、
台所の神として大黒天を祭ったことから
「大黒柱」と呼ばれるようになったという。
また一説には、
平城京や平安京で政務を行う
大内裏の中心を「大極殿」と呼び、
そこの柱が太くて立派であったことから、
そのような柱を
「大黒天柱」といい、
後に略されて音も変化して
「大極柱」というようにもなったともされる。
(由来・言語辞典)
一家を支える大黒柱といえば、
その家の父親を象徴していました。
今の時代は共働き層も増えて、
いわば大黒柱も
2本あるという時代でしょうか。
一方、
この言葉の原点である
住宅そのものからは、
すっかり大黒柱は
見られなくなりました。
ただ太い柱があれば、
それを大黒柱と呼んでいます。
さまざまな加工技術や計算が
できない時代に、
家を建てることは大変なことでしょう。
その難しさは、
縄文時代の竪穴式住宅の再現を
見ても分かります。
まさに大黒柱がないことには、
家は生まれません。
しかし、
すぐにも広さが足りなくなると、
広げる工夫が生まれます。
2本の柱の上に
棟梁を架けることで広げるのです。
その意味では、
棟は当時の大発明だったのでしょう。
共働きと同じように、
一軒の家に大黒柱は
2本以上あったのです。
ですから神社のつくりを見ても、
棟持ちの柱は対になっており、
大切にされています。
さらに時代が進むと、
2本の柱では
適わないほどの家の構造となります。
棟梁は1本でなく
接がれるようになると、
真ん中に立っている柱は
いちばん太い材が使われます。
現代までも残された
民家の大黒柱は、
まさにこの柱です。
ですから、
この柱には四方から
大きな梁が架かっています。
なぜか
現代の構造計算では、
通し柱は四隅に
配置することになっていますが、
古代からの考え方の方が、
直感的には正しいと思われます。
そして数世代がともに住む
大きな家では、
家長という1本の大黒柱があり、
小さくて単純な家では、
夫婦という細くても
2本の大黒柱。
家のカタチが、
家族のカタチまで
現しているようです。
おうちのはなしからでした
では、では。
「家づくりを通じて、
ご家族が幸せになるお手伝いをする」
私の使命です。